磯田道史さんの「歴史とは靴である 17歳の特別授業」を読みました。
鎌倉女学院高等学校で行われた特別授業をベースに再構成された本。
歴史への興味がどんどん湧いてくる授業。
自分が高校生の時にこういう話を聞いてればもっと歴史に対する勉強意欲も違っただろうなあ。
人類は、他の個体が経験したものを、なんと空間や時間を飛び越して、人類共有財産にして、次の行動が学習されていって、もうちょっとましに生きられる、もしくは愚かな考えをも伝えて、差別や偏見を後代に残したりしています。
これが「歴史をもつ」ということであり、その意味でぼくら現生人類=ホモ・サピエンスとはきわめて不思議な生きものだということを歴史学習の前提にまず考えておいてください。
その時代に起きた出来事を文字、絵画、音声として記録に残し次世代へ継承できるのは人間だけ。
素手で熊と遭遇したらなす術もない人間。
肉体的に劣るホモサピエンスが進化を遂げてきたのは、知的財産を受け継いできたから。
日本人は識字率がほぼ100%
こんな国は他にありません。
良い考えも悪い考えも歴史として記されていく。
歴史は勝者の都合の良いように脚色もされます。
「本能寺の変」も明智光秀はずっと裏切り者のダークなイメージでした。
大河ドラマ「麒麟がくる」でイメージがよくなったかと思ったら、「どうする家康」でまたしょぼいイメージに。
北野武監督作品の映画「首」ではどんな風に描かれているのか気になります。
では、なにが人間に残された、いや、人間にしかできない仕事なのでしょうか。
それは「おもしろい」とか「新しい」などの感覚や発想にならざるをえないと、ぼくは思います。
最近はチャットGTPなどAIの話題が出ることが多い。
AIが人間の仕事を奪っていく。
今後はAIが書いたブログも増えてくるのでしょう。
その方が仕事が早くて正確なら人間は淘汰されていく。
人間ができることは何か。
人間にしか思いつかないクリエイティブなことで勝負するしかない。
インターネットが人類の歴史に大きな影響を与えたように、今度はAIが世の中を変えていく。
その良い面は享受しつつ、自分自身どう生き残っていくのか模索していきたい。