「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を読みました。
著者の鈴木忠平氏は日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験。
落合さんの番記者として長く取材を続けられてきました。
落合監督のドラゴンズでの成績を振り返ると、2004年1位、2005年2位、2006年1位、2007年2位(日本一)、2008年3位、2009年2位、2010年1位、2011年1位。
「勝つことが最大限のファンサービス」と公言する落合監督は7年間すべてAクラス。
最後はチーム初の2年連続リーグ優勝を果たしました。
それなのになぜ解任されたのか。
監督を含む人件費の高騰、減っていく観客動員数、親会社の新聞社の低迷などいろんな要因があるのでしょうが、結局のところ球団に嫌われたのです。
一般の会社の人事だって上に立つ人間の好き嫌い。
自民党の総裁選も長老議員の好き嫌い。
勝利に対して徹底するがあまり嫌われてしまった落合監督。
本の中に落合監督の野球を象徴する言葉がありました。
「打つことは良くても三割だ。でも、守りは十割を目指せる。勝つためにいかに点をやらないかだ」
2007年の日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、8回まで完全試合を続けていた山井投手を降板させ9回は岩瀬投手が完全リレー。
この試合は当時テレビで観戦してましたが、正直「えっ変えちゃうの」と思いました。
その試合のスコアは1-0。
山井投手はマメが潰れていたし、大記録達成より確実なチームの勝利を優先した落合監督。
もし9回に山井投手が打たれて日本一を逃したらすべての責任は監督に。
勝利に対して冷徹に孤独に闘っていたのです。
落合監督退任後はすっかり弱くなったドラゴンズ。
自分がナゴヤドーム(現バンテリンドーム)へ足を運ぶこともなくなり、プロ野球そのものへの関心も薄れてきました。
10月になってドラゴンズが新監督になる話題に出ています。
ファンは勝利と優勝の喜びに飢えてます。
落合さんはまだ67歳。
本を読み終えて、今一度落合さんの力を借りる時だと感じました。