パリ五輪終わりましたね。
決勝の放送時間が深夜帯なので、翌朝のニュースでダイジェストを見る程度でしたが。
先日ラジオでアディダスの創業者とプーマの創業者は兄弟であるという話をしてました。
見た目も似ている。
しかし仲がとても悪かった。
映画化もされているのですが、アマゾンプライムでは配信無し。
「アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争」という本が出版されていたので読んでみました。
著者はオランダ生まれのジャーナリスト、バーバラ・スミット。
本では1940年頃から2005年頃までのアディダスとプーマの争いが書かれてました。
アディダスの創業者はアドルフ(アディ)ダスラー。
プーマの創業者はルドルフ(ルディ)ダスラー。
元々は2人で「ダスラー兄弟商会」を立ち上げ靴の製造販売をしてました。
職人肌のアディに営業力のルディ。
兄弟ゲンカのきっかけにもなっていた第二次世界大戦。
当時のドイツの状況とも密接に関わってきます。
自分は20年以上アディダスのスニーカーを履いています。
夏はポロシャツを着ることも。
単純のあの3本のラインが好きだからです。
ナイキ、プーマは履いたことがありません。
2本でも4本でもなく3本。
3本のラインが誕生した場面も書かれてました。
二本線とする案は、すぐさま却下された。兄弟商会で使っていたからで、ルドルフともめる材料を増やすのは避けたかった。また、四本ではやや複雑すぎるように思え、結局、その中間の三本線がちょうどよいだろうとなった。これなら、遠くからでもすぐに見分けがつくうえ、アディダスとライバル社との違いもはっきりする。このトレードマークは一九四九年三月に登録され、同時に社名も「アドルフ・ダスラー・アディダス製靴工場」となる。
アディダス誕生の瞬間です。
3本のラインはロジカルに消去法的に生まれたようです。
アディとルディの争いは、その息子、ホルストとアーミンとの争いに。
スポーツ用品メーカーにとって一番宣伝の場となるのは、オリンピックとサッカーのワールドカップ。
有力な選手にいかにして自社を靴を履いてもらうか。
裏では激しいバトルが繰り広げられていることを知りました。
現代になると、ナイキ、リーボックといった他者も台頭。
自分は履きませでしたが、ナイキのエアジョーダンがめちゃめちゃ流行ってた記憶はあります。
マイケル・ジョーダンに目をつけたナイキはさすが。
本は420ページあり、完読するまでに時間がかかりました。
自分のようにアディダスのファンでそのルーツを知りたい方、戦後のスポーツビジネスの変遷を知りたい方におすすめ。