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『敗戦と赤線〜国策売春の時代〜』加藤政洋

 

加藤政洋さんの「敗戦と赤線〜国策売春の時代〜」を読みました。

戦後に設けられた慰安所と各地の実態が書かれてました。

 

「赤線」という言葉は聞いたことがあります。

辞書には、営業許可を得た売春目的の特殊飲食店が集まっていた地域。1957年以降廃止されたと書かれてました。

赤線だけでなく青線も存在しました。

赤線と青線の違いや実態が詳しく書かれてました。

 

国策としての売春。

現代では考えられない政策。

先の戦争で日本はアメリカに敗北。

アメリカの占領下に。

 

実際の真偽や規模は分かりませんが、戦争中日本軍は中国や東南アジアの占領地で暴行を行っていたという。

日本軍が行ってきたことをアメリカ軍にされるのを真剣に恐れました。

日本人女性の性を守るために政府が慰安所の設置を協力に推し進めたという。

 

赤線よりグレーなのが青線。

表向きは飲食店でも2階で特別な接客が行われていたり。

青線は赤線よりも多かったという。

 

JR岐阜駅南にある「金津園」

駅裏にある風俗街。

最初からあの場所にあったわけではありません。

 

元々は現在の西柳ヶ瀬商店街の場所に「金津遊郭」がありました。

明治20年から。

戦争中の昭和17年に「時局の用に提供」するため一番栄えていた浅野屋が廃業。

他も横並びで「時局」への対応していきます。

 

金津遊郭は岐阜市の手力へ移転。

そこも川崎航空機の寮に提供するよう当時の知事から通達があったという。

戦後、市街地へ戻りたい業者が現在の場所の土地所有者と交渉しトントン拍子で建設が進みます。

それが現在の金津園。

 

機を捉えて再び市街地へ舞い戻った特歓街は、その名も床しい《金津》を冠した、県下を代表する「赤線」として営業を続けることになる。

遊郭ー慰安施設(特歓街)ー赤線ートルコ(ソープランド)街、あてがわれた役割に応じて立地を変えながら、それでもない現在にまで存命する街、それが《金津》である。

 

風営法により金津園で新たな店舗をオープンすることはできないそうです。

昼間に近くを通ると、古い建物ばかり。

ずっと営業を続けることはできません。

 

2012年に開催された岐阜国体。

開催前に浄化作戦と称して西柳ヶ瀬のグレーな店舗を一斉摘発。

それ以降の西柳ヶ瀬はとある番組で“日本一のシャッター街”と呼ばれるくらい寂れた商店街になってしまいました。

時勢に翻弄されるのは戦時中と一緒。

そのうち消滅するかもしれない金津園。

明治時代から続く金津遊郭からの変遷の歴史を知れる有意義な本でした。