三宅香帆さんの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読みました。
自分は毎朝起きたら最初に取り組むのが読書。
スッキリした頭でかための本を読むようにしてます。
平日だと読書に没頭しかかってるのに出勤時間が迫ってやむなく中断したり、前日疲れ過ぎて寝過ぎてしまい読書ができなくなることもしばしば。
自分が自由に使える可処分時間が短過ぎると常々感じてます。
昔から活字は好きでしたが、習慣として本を読むようになったのは20代後半。
転職先の仕事で苦しんでいた頃です。
たまたま手にとった本の言葉に励まされなんとか頑張っていた記憶。
つまり読書は常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい。
重兼のいう「学問への欲求」を、大学で満たせなかった人、あるいは大学を出ても満たせなかった人は、どうしたらいいのかーその答えをエリート層は探そうとしない。
自己表現や自己啓発への欲望を、エリート層が蔑視する。そのような構造は、本書で見てきたように、明治期の夏目漱石が描いた『門』から、80年代のカルチャーセンターへのまなざし、そして現代のオンラインサロンへの言説に至るまで、繰り返されている。
本書では日本の明治以降の労働史と読書との関係が分かりやすく書かれています。
自分は就職氷河期世代。
学歴は三流私立大学卒で就職活動もうまくいきませんでした。
社会の階層があるなら完全に下層。
下層から脱出しようと自分を高めるために自己啓発書を好んで読んできたのかなあ。
下層から脱出できてませんが、本を読んできて良かったしこれからも読み続けます。
より読書の時間を確保するためにはどうすればいいのか。
普通に働く時間を今より減らすしかありません。
一部の企業では週休3日制を導入し始めました。
週に5日勤務フルタイム+残業では働き過ぎ。
自分たちの世代は将来の年金がいつからもらえるか分からないし長生きする可能性も高い。
できるだけ長期間働き続ける必要があります。
メインの労働は週に3〜4日程度にして、趣味や副業の時間を増やしていった方が長期間働きやすいのでは。
本を読みながら自分の働き方について考えさせられました。
本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。
知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。
だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。
自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。
久々に読み返して刺さった箇所。
本の中では読書は「ノイズ」と定義されています。
ノイズだから排除しないといけないのか?
そうではありません。
むしろ積極的にノイズが必要。
リアル書店に行くと、特定の本に吸い寄せられることがあります。
読書好きの方なら経験があるのでは。
自分が何を知りたいのか分からないけど心の中にあるモヤモヤしたものを言語化してくれているのが本。
